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出浦昌相が本多忠勝に切られる!再登場するも真田昌幸と最期の別れ?

出浦昌相の再登場はいつ?

37話「信之」で寺島進(出浦昌相)が再登場!九度山に流罪に決まった真田昌幸が旅立つ前に出浦昌相の所にお見舞いにきました。

まともにしゃべれない状態で佐助が通訳です、哀しい、いたわしいお姿になってしまい忍びに戻るのは難しそう。

次回38話で時間が10年進み真田昌幸が九度山で亡くなるので昌幸が盟友の出浦と会うのは最後になるかもしれません。

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36話「勝負」で出浦昌相が登場しなかったので出浦の実戦はなさそうですね。38話「昌幸」で時計の針が10年進みます。


10年後の1610年は本多忠勝が死去する年で真田昌幸も病に倒れて余命1年です。


忍びの仕事は佐助に任せて出浦はいいご隠居さんでしょう、昌幸が亡くなる前に一度会いに来てほしいですね。


真田丸31話【終焉】で本多忠勝に切られて出浦昌相が瀕死の重傷!


真田丸の登場人物の中でも戦闘力で一位二位を争う、本多忠勝と出浦昌相のドリームマッチが実現しました。


真田昌幸から家康暗殺の命を受けて徳川屋敷に出浦昌相が潜入しますが徳川家最強の本多忠勝が屋敷にいた。


信幸は舅の本多忠勝が怖くて側室のおこうと仙千代が生まれたことを忠勝に打ち明けられません。家族からは仙千代が不憫だと責められます。


「世の中、先延ばしにして良いことなど何一つもない」と昌幸は早く話しをするように促しますが、家族から冷たいジト目で見られます。


(無言で)どの口が言うか?真田家は秀吉からの上洛要請を先延ばしにして滅びかけました。


秀吉がもう長くないことは世間に知れ渡り、秀吉の死後を見据えて人々は動き始めています。真田信幸は秀吉が亡くなれば世の中が乱れると見抜いています。そして真田家のために成すべきことを考える、この部分がぶれません。


一方、真田昌幸はすでにご隠居さんの気分なのか何をしたいのかよくわかりません。出浦昌相は「(家康暗殺の)いつでも準備はできている」と昌幸の心に火をつけようとします。


秀吉から家康暗殺の命令をうけた石田三成は真田昌幸に相談します。小田原征伐のときの真田昌幸が行った忍城攻めの采配をみて、石田三成は昌幸のことを師匠と思っていると持ち上げます。


三成からおだてられてその気になったのか昌幸は出浦に家康暗殺を命じました。出浦が徳川屋敷の屋根裏に潜入して暗殺の機会をうかがいます、そこに信幸が家康を訪ねてやってきました。


自分に側室と子供がいて舅の本多忠勝に言えないので家康を通じてとりなしてもらうためです、名案ですね、この形なら殺されることはないでしょう。


出浦の家康暗殺計画は信幸が居合わせてしまったことから歯車が狂い始めました。いつでも大事なことは何も知らされない信幸、今回も昌幸は出浦が潜入することを信幸に知らせていません。


信幸は忍びの気配に気づいて家康に通報します、屋根裏に潜んでいることがばれてしまった出浦昌相は暗殺をあきらめ脱出をはじめます。


本多忠勝が蜻蛉切に似た槍を構えて立ちはだかり出浦が刀で応戦します。槍のほうがリーチが長いので刀より有利ですが狭い建物の中では邪魔になることもあります。


出浦は本多忠勝の攻撃をかわし槍の刃先を素手でつかみ懐に入って槍の柄の部分を真っ二つに切ってしまいました。


こうして出浦は脱出の機会を得たかと思われましたが、賊を迎え討とうとした信幸とばったり鉢合わせ、虚をつかれて一瞬動きが止まってしまった出浦は背後から忠勝に切られてしまいました。


火遁の術を使って徳川屋敷から脱出、佐助に運ばれて真田屋敷に逃げ込みましたが出浦は瀕死の重傷を負ってしまいました。

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ここまでが31話のあらすじですが、冒頭で「先延ばしにして良いことなど何一つもない」と話していましたがその通りになってしまいました。


出浦昌相は史実では関ヶ原の後、大坂の役の後まで存命です。出浦昌相が亡くなったのナレーションもありませんでしたし、命は取り留めるはずです。


出浦昌相は関ヶ原の後どうなる?


信幸は家康に間者が潜入していることを知らせて徳川家の中で株が上がりましたが、真田家の間者とばれてしまったら一大事です、真田家の存亡の危機です。


まだ真田家の手の者とばれていないようですが出浦昌相は本多忠勝にしっかり顔を見られてしまいました。出浦昌相が真田家の家来だとばれるわけにはいかないので当分の間、出浦の存在は隠すしかないと思われます。


本多忠勝が孫の顔をみるために真田屋敷に顔を出すので出浦は鉢合わせしないように表には出てこられないでしょう。


以前に琵琶湖に身を投げて行方不明になった松のように、生死不明のまましばらくテレビに出てこないかもしれません。


真田丸公式サイト寺島進さんのインタビューで

信幸に忍びの技を気づかれて徳川暗殺に失敗し、死ぬような目に合ってしまいましたからね。
史実では今後、出浦が信幸に仕えるということもあるようなのですが、こちらとしては気持ちの整理がつきません。


と書かれていました。


関ヶ原の戦いの直前に犬伏の別れで真田家の人間は徳川方と豊臣方に分かれます、ですが両者の間で交流は続くので、佐助のような忍びが間を取り持つのでしょう


一応史実では出浦昌相は真田信之(信幸)の家来として仕えるはずですが元々忍びなのでどうにでもなりそうです。


本多忠勝は1610年に死去します、関ヶ原の戦い(1600年)の後、大坂の役(1614~1615年)の前です。


本多忠勝の死後ならほとぼりも冷めて真田信之の家来として仕えてても不自然ではありませんが、芝居としては出浦昌相の存在が本多忠勝にばれるところを見てみたいです。

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