テレビドラマふぁん

真田丸キャスト エンケン演じる上杉景勝役は仁義に厚いコワモテ俳優

NHK大河ドラマ「真田丸」で上杉景勝(うえすぎかげかつ)役は遠藤憲一(えんどうけんいち)さんです、顔が怖いのですが、最近ではミツバチの着ぐるみを着てゲームのCMに出たり、関西テレビで渡部篤郎のダブル主演、コメディにも挑戦しています


遠藤憲一(えんどうけんいち) 上杉景勝役

生年月日:1961年6月28日(54歳)
出生地:東京都品川区
身長:182cm
血液型:O型

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横浜商工高等学校(横浜創学館高等学校)に入学
劇団無名塾に合格
劇団フジ・東京宝映に移籍


俳優業
壬生の恋歌(1983年、NHK)猪俣蛾次郎 役でデビュー
眼力のある強面の風貌で刑事ドラマや極道者で悪役を多く演じました


2009年 「湯けむりスナイパー」椿屋の源さん役で主役を演じました
元殺し屋が人生をやり直すために引退して、秘境の温泉宿で素性を隠して従業員として働く日々が描かれます
ロケ地は長野県松本市 薬師平 茜宿


2012年映画化「外事警察、その男に騙されるな」
倉田俊貴役で出演


2016年関西テレビ「お義父さんと呼ばせて」で遠藤憲一と渡部篤郎のダブル主演
大道寺 保(遠藤憲一)51才が28歳年下の女性の恋人とお付き合いして、同い年の恋人の父親、花澤 紀一郎(渡部篤郎)51才のことを「お義父さんと呼ばせて」


と挨拶に行き結婚をめぐってコミカルに対立するコメディ
硬派な役柄だけでなくコメディまでこなす実力派です


信繁が12話で【人質】として越後で暮らした背景
織田信長の上杉征伐で滅亡寸前まで追い詰められますが本能寺の変が起こりぎりぎりの所で助かりました、さらに新発田重家の反乱もあり上杉の領国は相次ぐ戦乱で荒れます


真田昌幸が上杉家と手を結びたいと書状を送ったとき真田に不信感を持っていた上杉景勝は否と回答しますが、当時の越後は領国が荒れ、外部と戦をする余裕はなく真田を味方につけておきたい事情があります


上杉景勝は真田信繁を人質として差し出す条件で真田と手を結びました
信繁が越後にやってきた頃は上杉景勝と直江兼続が領国経営に悪戦苦闘していた時期でした


信繁が目にした鉄火起請は戦国時代に行われていた神判で、お上による調停や裁判が機能しないため人の代わりに神に神判を求めるもので争う当事者同士で紛争の決着をつける手段でした


上杉景勝の逸話
家臣たちは景勝が笑うところをほとんど見たことがない
寡黙でしゃべりません
常に怖い顔をしていたそうです


感情をほとんど表にだすことがなかったそうです
威厳を保つためだったんでしょうか?


上杉景勝の略歴
弘治元年(1555年)、越後国魚沼郡上田庄(新潟県南魚沼市)生まれ
父は長尾政景
母は仙桃院(長尾為景の娘)でした
叔父・謙信の養子となりました

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天正6年(1578年)謙信が死去すると
上杉景虎との相続争いが勃発します、景勝は東上野の割譲と黄金譲渡を条件に武田氏の後ろ盾を得て戦局は景勝が優勢となりました


天正7年(1579年)景虎は自害し名実ともに景勝は上杉家の当主となります


天正9年(1581年)新発田重家が織田信長通じて反乱を起こし天正10年(1582年)に織田軍と魚津城の戦いで敗戦します


上杉家は滅亡の窮地に立たされますが信長が本能寺の変で討たれたため、織田軍の北征は中止になり九死に一生を得ました、信長の死後は北信濃を攻め北条と争いますが北信濃4郡の割譲を条件に講和しました


天正12年(1584年)小牧・長久手の戦いで秀吉に味方します
天正14年(1586年)上洛して秀吉と会見、真田領の上野国の領有を放棄、代わりに佐渡、出羽を得ます


天正15年(1587年)に秀吉の後ろ盾を得て新発田重家を討ち越後統一を果たしました


文禄4年(1595年)に越後・佐渡の金銀山の支配を命ぜられ、五大老の一人に景勝が任命されました、豊臣政権時代に秀吉から会津120万石に加増され会津中納言と呼ばれます


秀吉の死後、徳川家康と対立、慶長5年(1600年)に石田三成が挙兵して関が原の戦いが起こります


上杉軍は会津から出兵して、東軍の伊達政宗、最上義光らと(慶長出羽合戦)戦いますが関が原で西軍が敗れたため家康に降伏しました


上杉家は北信越の大大名から米沢30万石に減移封されますが存続を許されます
大阪冬の陣では徳川方につき直江兼続とともに出陣、鴫野の戦いで大功を挙げます
大阪夏の陣で八幡山に布陣します、大阪城は落城



元和9年(1623年)に米沢城で死去、享年69
米沢上杉家は幕末まで続きました

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