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真田丸25話ネタバレ【別離】祈れ!加藤清正が井戸の前で石田三成を待つ

ネタバレです、肥後から急いで戻ってきた清正は三成を誘って~真田丸25回「別離」このあとぬぐ!


秀吉の息子の捨はかぞえで3歳となり名を鶴松と改めました、茶々は秀吉から与えられた淀城で暮らし、淀殿とよばれるようになりました

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秀長との別離
三成、吉継、信繁が聚楽第の利休の茶室で利休の刻印のある鉛の塊を突きつけて北条に武器を売りつけたことを詰問しました
しかし利休はこれだけでは証拠にはなりませんと開き直りました、埒があかないので三成は秀長を通して利休の浦の商売を秀吉に伝えました


秀吉はこの件は預からせてくれと答えるだけで、それ以上動こうとしませんでした、秀吉の弟の秀長はこの件が決着する前に病死しました


利休との別離
三成と吉継は大徳寺に利休の像が飾ってあることを知り、これを理由に利休の失脚を画策しました
像が山門の上にあり、秀吉が山門をくぐるときに利休の足の下をくぐることになると難癖をつけて秀吉から蟄居の命令を引き出しました、そして蟄居の後で切腹を申し付けられました


信繁は利休を見張るために堺の利休の屋敷に詰めていました、利休は信繁に茶をたてながら
商人の家に生まれて金が人の心を動かし国を動かし、そして戦は儲かること、しかし業がふかいのでそれゆえ茶をたてていると信繁に話しました


茶を飲み終えた信繁は木像をつくった理由を利休に尋ねました、木像は茶々が所望したもので、出来上がった木像が予定より大きすぎたので置き場所が無く
そこで茶々は利休がした金で山門の修理を行った大徳寺に預ければきっと大事にしてもらえると提案しました、それが大徳寺に木像がおかれた真相でした


二月末に利休は切腹して首は大徳寺山門の木像の下にさらされました


鶴松は病気がちで淀城内では死んだ利休のたたりではないかと噂をする者もいました
沼田城主となった真田信幸は大名として領地の経営に追われていました、信幸は戦国の世が終わったので領民のために金を使おうとしました、ところが大叔父の矢沢頼綱が堀の拡張や城内の隠し扉に金を使ってしまい困っていました


そんな信幸に徳川から嫁いできた稲が心を開いてくれず、信幸を受け入れてくれるのは侍女となった元妻のおこうだけでした
上田城では小山田茂誠と松がとりを見舞っていました、松は茂誠と対面すると記憶を取り戻して茂誠は」昌幸から帰参を許されました、茂誠は真田家の岩櫃城を任され松と一緒に赴任しました

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鶴松との別離
京の真田屋敷では公家の出である薫のツテで「万病に効く民国の薬」を手に入れてました
薬を献上するため薫と昌幸が淀城を訪れました、これを聞いた片桐元は鶴松の口に入るものなら自ら作らねばなるまいと考え薫の立会いでさっそく作業にとりかかりました


城内の台所で且元が薬を煎じましたが煎じた煮汁のほうが必要だとは知らずに汁をうっかり流してしまいました
その後且元はわずかに残った木の根で再び薬を作ろうとしました
その後且元と薫が苦労した作ったわずかな薬を昌幸は誤って味見してしまいます、昌幸は薬がすべてなくなったと知らされ気まずそうに淀城を去りました


きりと秀次が一緒に見舞いに訪ねてきました、そこに寧がやってきました、きりが寧に頼まれて捨のお気に入りのでんでん太鼓を届けにきたのでした


鶴松の容態がいよいよ危なくなり三成と吉継はひそかに葬儀の打ち合わせをしていました
そこへ加藤清正と福島正則が現れました、鶴松危篤の報を受けた清正は肥後から急ぎ戻ってきたのでした


鶴松の病気回復を願って祈願の水ごりをしようと三成を誘いましたが三成はそっけなく断りました、しかし後から井戸にやってきて清正たちを喜ばせます
水ごりを終えた三成は淀城に秀次や弟の秀勝や秀保の豊臣家の近親者を呼び、もしものときは秀吉や豊臣家を支えてくれるように頼みました


こんなときだけれども関白の座が約束された秀次はこの国を支えるためにきりの支えが必要だと考えて彼女にそばにいてほしいと告白をしました
しかし皆の願いはかなわず鶴松は二年二ヶ月の短い一生を終えました


秀吉は鶴松に向かってでんでん太鼓を鳴らしています、やがて茶々が部屋から出てきました、泣いてはおらず廊下でたたずんでいました


信繁が鶴松様のそばにいて差し上げなくてよろしいのですかと声をかけると
茶々「だって、死んでしまったんですもの横にいたところで仕方ないでしょう…皆、死んでしまう、私の大切な人たち
寧が現れてゆっくりと茶々を抱きしめました、堰を切ったように茶々は声を上げて泣き出しました

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