テレビドラマふぁん

真田丸26話あらすじ・信繁がすえと再会 真田一族全員集合とりが旅立つ

瓜売り・26話のネタバレです上田に真田家キャスト勢ぞろい


秀吉が朝鮮出兵を決定し、豊臣政権のターニングポイントを迎えます

秀次から求婚されたきりは人生の岐路に立ち、きりは父に相談します

なすべきことが判らなくなった信幸と信繁は、ばば様に問いかけます

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一人息子の鶴松を失った秀吉は甥の秀次を養子にして関白の座を譲りました、ところが秀吉は海を渡って明国を攻めると言い出します

信繁はご隠居なさるのではなかったのですか?と問いましたが、秀吉は人は仕事をあたえねばならぬ、人は仕事がないとろくなことを考えぬ、明国を攻め入る、これぞまさに武士の大仕事、太平をひっくり返そうなどと考えるものはいなくなる


1592年に秀吉は肥前国、名護屋(現在の佐賀県、唐津市)に城を築いて朝鮮攻略の拠点にしました、昌幸、信幸も名護屋にやってきて「信繁と合流して再会を喜びました


きりの相手が関白秀次と知って驚く内記


関白になった秀次から側室になってほしいと言われたきりは、上田に戻って父親の内記に相談しました

内記は娘のきりを信繁の元に嫁がせようと思っていたので相手の名前を聞く前に怒り出しました

真田家の男子を産んでもらうのが内記の悲願、どこの馬の骨とわからぬ奴と一緒になってどうする、と怒鳴りますがきりの相手が関白秀次と聞いて、内記は慌てふためきます


朝鮮出兵、最初は順調だったが


朝鮮出兵が始まりました、3月に小西行長軍に続き、加藤清正軍が名護屋を立ちました

4月に秀吉が名護屋に到着しました、第一陣は順調に勝ち進み破竹の勢いで進軍中で秀吉は報告を聞き満足げでした

茶々も気分転換に名護屋に来ています、庭で信繁と茶々がおしゃべりをしているとそこへ若い女がやってきました

大谷吉継の娘・春でした秀吉から身内を呼ぶことを許されて名護屋に来ているのでした
  
6月に三成と吉継が朝鮮にわたりました、しばらくして茶々の懐妊がわかり秀吉は大喜びしました、茶々は大事をとって大阪城に戻りました


朝鮮では加藤清正が苦戦、その頃名護屋では仮装大会


朝鮮での戦は明国軍が朝鮮軍に加勢して、膠着状態に陥りました、さらに秀次の弟の秀勝が戦地で病死してしまいます 

気晴らしのため秀吉の命令でやつしくらべ(仮装大会)が開かれることになりました、真田昌幸と信幸は「瓜売り」の真似を必死で練習しました


秀次に男の子が生まれるが2ヶ月で亡くなってしまいました、涙を流す秀次をきりは慰めますが

秀次は、泣いているのは息子をなくしたからではない、我が身を呪っているのだ、と言いました

茶々に男の子が生まれたら秀吉はその子を跡継ぎにしようとするだろう、そして自分も息子も秀吉にとっては目障りな存在になるだろう

秀次はこれで秀吉ににらまれずに済むとほっとしていた、父親として情けないと自己嫌悪の涙を流し、きりがそっと寄り添うのでした

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やつしくらべ(仮装大会)の練習に励む昌幸と信幸

昌幸は完璧に瓜売りになりきり、信幸も行商人の格好をしていました、昌幸はこれも戦いだと考え、真田ここにありと、居並ぶ大名たちに真田の姿を見せ付けるつもりでした


ところが秀吉の出し物も瓜売りとわかりました、どうみても真田の瓜売りのほうが上手でこのままでは秀吉に恥を書かせてしまいます


信繁と信幸はなんとか秀吉の出し物を変えさせようと骨を折りますがうまくゆかず、昌幸は仮病を使って出場を辞退することにしました


真田の名声を高める機会を失った昌幸は落胆の色を隠せませんでした 


やつしくらべは家康があじか売り(ざる売り)、秀吉が瓜売りで競い合い、優勝は秀吉の「瓜売り」に決まり得意満面の秀吉を見て家康はうんざりした様子でした


ババ様が危篤で信繁が上田に帰り、すえと再会


そのときその場にいた信繁の元にとり(ばば様)が危篤の知らせが届きました、昌幸らは秀吉から帰国の許しを得て大急ぎで上田に戻りました


上田には真田ゆかりの人々が次々と戻ってきました


昌幸、薫、信幸、信繁、信尹、松、茂誠、稲、こう、内記、佐助、そして8歳になったすえの手を引いて作兵衛がやってきました


信繁はすえと久しぶりの対面を果たしましたが、ずっと会ってなかったすえは信繁に抱かれるのを嫌がりました


とりが眠り、周りではだれもがやがて来るであろう最期のときを待っていた、すると突然にとりは立ち上がり信幸と信繁を呼び寄せた

信幸「戦いのない世の中で、我らがなすべきことは?」

信繁「我らは生まれてくるのが遅かったのでしょうか」

とりは答えます

人は誰もがさだめを持って生まれてくる、遅いも早いもない、おのが宿命に気づくかどうか、

見ておるぞ、ばばは、怠るな


1593年8月1日にとりは息を引き取りました


そして、2日後。大阪城で茶々が男の子を出産しました、後に真田一族に大きな影響を及ぼす豊臣秀頼の誕生です

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